2012年1月1日日曜日

11.17「復興ファシズムへ抵抗宣言」by saburou

From: saburou
Date: 20111117 15:56:58:JST
To: 2011shinsai@list.jca.apc.org
Subject: [2011shinsai 2311] Fw:Re: ん?と感じたこと
Reply-To: 2011shinsai@list.jca.apc.org

村山さんとの私信でのやり取りです。村山さんの許諾を得ましたので、不利益を生じないよう特定の人物名だけを伏字にして転送いたします。
首都圏の「ホットスポット」「マイクロスポット」と呼ばれる地域住民の過剰なる生活防衛運動にウンザリ気味でしたし、余りにもエゴイズムだけに支配された言説であるのかを暴露しなければならないでしょう。私は首都圏住民が被害者意識ばかり過剰で加害者意識がまるっきり欠如した利己主義的な運動に敵対的に振る舞うことを選択せざるを得ません。もはや原子力災害被災地と首都圏地域のくうそう「連帯」だのと抜かす空想にお付き合いすることはないでしょう、このままでは。


---------以下転載です---------


さぶろうさん

こんにちは、村山です。そちらはだいぶ寒くなってきているのではありませんか?
その後、いかがお過ごしでしょうか?

東電前ACがスタンスに大きな課題を抱えているのは、全くご指摘の通りです。

そもそも、放射性廃棄物問題PTが立ち上がったときは、都内、足元でどのような処理が行なわれ、住民や労働者へはどのような配慮がなされているのか(同時に、なされていないのか)を究明し、かつ、従前から抱えていた問題広域処理による地方へのさらなる加害の問題を防ぐこと、それらを念頭に置いていたのですが・・・。

いまや、すっかり瓦礫の受け入れ可否の問題に話がすり替わり、アタマを痛めることしきりです。下水道や清掃工場の労務管理については依然、追及を続けてはいますが。

MLでご覧になられている分には××さんのような言論が幅を利かせているように見えるやもしれませんが・・・ああいう意見が一大勢力を成していて少数意見の留保すら認められない、という状況ではありません。それがせめてもの救いです。

とはいえ、東電前アクションという運動体の中でさらに運動をやっているような、妙な感覚に陥ることは少なくありません・・・。色々と感情にフタをしながら、自分を抑えながら、会議に出はじめてから、もう7ヶ月ほど経ちました。

大都市圏の人口4000万に比せば福島の民は300(でしたっけ)。「民主主義的多数決」という暴力が更に振り掛かることを畏れ、自分たち自身が都市民として加害の陣営に与することを畏れます。【註 首都圏人口は数え方により3400万から3700万、福島県の人口は200万強でした】

同感です。わたしも同様の危惧を抱えながら、3月以来、運動に関わってきました。

3・11のあと、福島の原発災害が現実のものとなったときに、わたしは己の無知と無自覚、鈍さを思い知らされました。そして首都で暮らすことが地方を下敷きにして、殺していくことに加担する構造のうえに成り立っていること、その絶望に崩れおちました。

園くんやさぶろうさん、山口さんが東電前に立ち始めたことは最初のほうから知っていたのですが、秋田にいる家族や、南東北にちらばる親族、友人たちの安否確認にまつわる心労も相まって、すっかりふさぎこんでしまい、立ち上がるのに1週間かかりました。

あのころ、柏崎くんに「村山さん含め、東北生まれの人はもっと怒っていいと思う」と慰めとも激励ともつかない言葉をもらったことを覚えています。

しかし・・・地元に家族や友人がいることがたしかではあっても、他方でわたし自身は東京に来て10年以上になります。地元で生計を立てて暮らしてきた人と同じ立場でものを語ってもいいのか? という内省の中で、引き裂かれ続けてきました。3月以来、ずっと自分の立場性については何度でも考えざるを得ないのです。

わたしは「在京地方人」という立場のまま、加害性と責任の認識のもと、衝き動かされて走り続けてきました。さる22日の話し合いでは・・・そうしたわたしの立場性との、大きな断絶が運動内で随所に走っていることをあらためて実感するところとなりました。

「シングルイシュー」でやっていくことを求める意見(日の丸問題どころか、被曝労働問題についてすらコミットを深めないほうがいい、という意見まで出ました)が相次ぎまして。

わたしはそこで、自分のスタンスを真っ向から打ち出し、異論を述べました。個人名は挙げませんが・・・何人かの人から出た意見については厳しく批判せざるを得ませんでした。

わたし自身、前提が違う人たちに対して、どこまで物を言ったものか、だいぶ迷いながら、東電前アクションにかかわり続けてきましたし、わたしなりに我慢を重ねながら付き合っている状態ではありましたが、それがよくなかった、と今では思います。

「地方の問題にせよ、被曝労働の問題にせよ、ずっと今まで指摘されてきた問題なのであって、もはや誰の目にも明らかであり、根源的な問題であるはず。それを無視して、置き去りにして、本当にこれからも運動をやるんですか? 僕は園くんたちが東電前に立ってから1週間して、参加しましたが・・・。そんな底の浅いことしかやらないなら、僕は園くんの呼びかけに応えてませんよ!!」と激情をその場にたたきつけることになりました。

わたしがそう発言するまで、「『難しいこと』はいったん置いておいて、廃炉を求めるという一点でシングルイシューでいこう」という場の流れが活発であったのが(ある人がそのような発言をしたら、拍手する人まで出ました。軽薄にも程があります)、綺麗に凍りつき場は水を打ったように静まりました。

あの日の会話がみなの意識に投じられた一石となっていることを願うばかりです。
近日のうちに、瓦礫問題についてのスタンスを話し合う場がもたれます。

東電前ACが、自ら地方への加害を推し進めることに加担する運動体にならないよう、可能な限り力を尽くすつもりではあります。

しかし、結論次第では、わたしは本当に東電前ACとは訣別せざるを得ません。

ことし7月、秋田県の大館市や小坂町に暫定基準を遥かに上回る放射性物質を含んだ焼却灰が、確信犯的に千葉の流山、松戸から運び込まれ、埋め立てられるという酷い事件が起きました。

わたしは、大館の住民団体のかたと連絡を取り合い、首都圏の放射性物質押し付けに立ちふさがるべく、1人で運動を興しているところですので・・・もし、東電前ACが都市民のエゴイズムを一方的に推し進めるなら、わたしは全力で敵対せざるを得なくなります。

Kさんや園くん、Oさんらがいるし、そこまでのことにはならないとは思いますし、そう願うしかないのですが・・・。

首都圏住民は「無辜の民」では有り得ないということの自覚・気付きを喚起する/させる叫びを東電前で始めた三人の、そして十数人の行動が、当初の企図することと真逆の言論に変節してしまったことに絶望しています。

「究極の絶望」こそ希望の糸口を手繰り寄せる転機です。少数でも構わない。不断に声を挙げ続けましょう。

お言葉、胸に刻みつけておきます。

------転載終わり-----------

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