2011年5月15日日曜日

第8次東北支援トラックに向けて


三上さんの「連帯ニュース第115号」にあるように第7次でごろ合わせのように7名の参加による各人それぞれの感想は
あるものの、福島原発の日々刻々と破滅に向かってすすむ現実はひとまずこれで東北支援トラックの役目は終わったという
ような性質のものではない。
おそらく三上さんの言うのは、「第一段階が終わった、」と言っているような気がする。
たしかに私も第一段階が終わったような気がする。
それは、パルシステム提供品の「野菜と果物」が今回で最終回だったという理由もあるが
たしかにそれはこの行動にとってなければならない重要なアイテムであったことは事実ではある。
しかしそれが本当の理由ではない。
なぜなら、「野菜と果物」を主とするわれわれの支援物資を今なお南相馬市内の10カ所を超える大型避難所で必要としているからだ。
「物流は前よりは回復して来てはいる。」と言う桜井市長の言葉はゆっくりと静かに話すのでわれわれには直ぐに
彼の苦悩が読めるのだ。
江田さんが「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」について突っ込んだ時だ。
「市民がまた不安になるといけないので、それを発表することはできない。」と言われた時にも
われわれは耳を疑っているのに全員が重たい沈黙の時間を見ていたのだから。
だから、私も吉岡さんも持参して市長の了解で録音したはずのICレコーダーのこの会見の音源をYoutubeで公開しないのだろう。
それは桜井市長自身の口から市民に向けて発しなければならない時が来るまで公開してはいけない。
しかしその日はもう遠くないような気がする。
また6号線は避難する市民の車で溢れるのだろうか。
「それは、私と内閣との問題だ。」と、「問われているのは自分自身なのだ。」と、まるで戦国武将のような
静謐な長い会議だったような気がする。
最後に立ち上がって市長室を出ようとするわれわれに笑みをおくる眼の奥にそれまで見せなかった熱いもの、それは涙などではなく
小さな炎のようなものを感じたのは私だけだったのか、その時わたしは、彼にくらべると自身の浮き草のような人生を振り返っていたのだから。
だけど、こうも思ったものだ。
人間誰も運命劇場の主役が廻って来ただけなのかも知れないぞってね。
ああそうです。
正清さんは1日に70通もメールが来ているのに全然読んでないそうです。
彼は今回も重要な役割を演じてくれました。
タバコを吸う人だけの特権です。
避難所のホテルの玄関でたくさんの避難者のタバコを吸う人たちと会話したようです。
ああ、タバコを吸える人がこんなに羨ましいと思ったことはありません。
こんどから私は彼の秘書になってあげようかと思ったくらいです。
国会ロビイストの1日ってかなり興味が湧くからです。
どうせこれも彼は読んでいないのですね。残念です、
第6次のときに立ち寄った福島市での集会「5/1・福島老朽原発を考へる会」でまいたビラの反応がありました。
公共PCを新潟県湯沢町の避難所に置いて欲しいというものです。
"子どもたちを放射能からまもる福島ネット"のメンバーからです。
Wさん、「中古PCの無償または格安での企業提供の件は、」その後いかがでしょうか。
群馬の有機野菜農場から野菜の無償提供がありますが収穫のためのボランテイアを募集しなければなりません。
伊豆の夏みかん農場からも無償提供のため収穫のためのボランテイアを募集しなければなりません。
いわき市四倉でわれわれの前線基地に一軒家の無償提供があるというので帰りに寄って来ました。
持ち主の牧師さんだったと思う(立ったまま半分は寝ていたのでうろ覚えで済みません、)何とかいう人が
国会前座り込みや院内集会に来て発言してくれるそうです。
関西生コンからなのか「沖縄意見広告の会」からとなるのか何れにせよ近々には大阪に2トンロング・デイーゼルの無償貸出し
の引き取りに行きます。ナンバーの登録はNOX・PMをクリアしたところでできます。
避難所で「座談会的超初心者向けインターネット教室」の司会をやったあと今回のクルーで最年少で
塩見さんのミク友の北海道出身の先祖がロシア人のS君に「意外とうまいじゃん。」とほめられました。
しかしこの座談会では中年の避難者のかたからのせっかくの質問に対してS君が「出荷時にマイクロソフトで付けているブラウザIEなんか使ってはダメだよ。」
なんて言ったものだから三上さんや吉岡さんが激怒したのだけれど、S君も持論を譲らず質問をしたはずの中年の避難者のかたには
大変申し訳なかったと思っていたら、後でS君にPCの掃除を(ただのデフラグのこと、)してもらったと喜んでいました。
では、夜も更けて来ましたので。

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