2011年4月10日日曜日

第2次東北救援トラックから






なういわき市湯本温泉ホテルこのご時世で日帰り温泉しかやってないってって泊まりも夕飯はないって、
変だなあと思ってよく聞くとスーパゼネコンがここいら一体のホテルを全部借り切っているってそれって
東電でしょと突っ込むとそれは言えないって笑うのだが
原発で働いている人々だってつまり東電の下請けか孫請けの作業員の人々だ。
取材できるかなあって聞いたら無理だ皆口がかたいらしい。
湯船に浸かっていたらそばで現場作業員らしい肉体をした人々が85キロあったのに
2週間で10キロ減ったと仲間にぼやいていた。30代や40代の若い人もいる。
原発で闘っている人々のためにと4.12には1Fラウンジで東京からジャズバンドを呼んで演奏会が催される。
せめて渡辺貞夫バンドだったら国民は納得なのだが、否本当に彼らを慰問する気があるなら東電は身銭を
切って渡辺貞夫バンドを呼んでやるべきなのにね。
ぼくらの2台のトラックは四つ倉の海水浴場からたった20メートルしか離れていないけれど高台にあるために
助かったという老人ホームに8割がた野菜や果物や飲料水を下ろし会議室で熱いコーヒーなど振る舞われて
施設長とガイガーカウンターの数値について話した。
福島脱原発ネットワークの佐藤市議も相変わらず忙しそうだったけど爽やかな青年のような顔を今日はしていた。
もう1箇所は小名浜港まで小1時間南下したところにある小さな地区労組の事務所である。
勤労青年会館の昔ながらの古い木の看板のかかった40年前の田舎の集会所みたいな敷地の端っこのプレハブに
残りの2割くらいの野菜と果物と飲料水を下ろした。どちらにもちゃんと生協のパルシステムさんからの提供であることを伝えています。
被災者の組合員が首を切られて困っているらしい。組合員は16人とその家族だって言っていた。
やはり市の災害対策本部には支援物資が山積みされているのに市の職員の手が足りなくてしばらくは末端まで配布されなかった
というのは本当だったようだ。その労組地区長の言うには会社の経営者は従業員を市の災害対策本部にボランテイアに出せば
解雇しなくても良かったのにと言っていた。
その通りです。何処に行ってもぼくらは喜ばれるみたいです。
正清さんと三上さんも行く先々でぼくらの団体の説明に熱がこもっている。
さて市内の道路を走っているとまるで津波も地震も福島原発もまるで何もなかったかのように街並みの風景は東京郊外と同じだし
いかにも平穏な日常そのものといった感じだった。
まるでぼくは拍子抜けだった。
たしかに四ツ倉インターを降りると急に自衛隊の兵站輸送用の幌を被った大型トラックを何台か見かけたけど、
1万5千人の行方不明者の捜索はどこでやっているのだろう。
それとももう彼らは全員波にさらわれて海の向こうの遠くの方に沈んでいるのだろうか。
あまりに惨いと感じられるのはぼくだけなのか。
海岸線から少し山間に入ったところののんびりした家々の庭には今が見頃と桜が満開で穏やかな時間が流れている。
街を行き交う人々の顔に不安はなく何処か知らないところで誰もが知らないうちに順番に死が待っているだけさとでも
言いたげに。
ああぼくは福生に帰って多摩川の土手に土筆を採りに行こうとする。
いつも毎年そこいら一帯は菫やたんぽぽがいっぱいに咲き乱れているはずなのにどうしたのだろう。
来週もう一度行って見よう。
ああ家の前の玉川上水の鯉達も一斉に姿を消している。
この文章を分割して
Twitterrに流そうと旅館のフトンの中でデータカード差すが圏外のよう。
明日帰路の常磐道高速Pで電脳トラック助手席から送信予定。

0 件のコメント: