2009年9月24日木曜日

アフガン戦争とは何か from Akemi Hosoi

長船 @<パレスチナに献花を>です。

「 訂正版・アフガン戦争とは何か 」を再送します。
「9条改憲阻止の会」の三上治氏が「論評」と題してまた時には「連帯ニュース」と題して精力的に時事批評の個人通信を発信して居られます。今回は「戦争について今一度考えて見よう 」というややまったりした感じのテーマで折しも9.11同時多発テロから8年めのイラクとアフガニスタンという我々の戦争観に言及したものです。これにバグダッド・バーニングの訳者の細井明美さんが、ちょっと待ってと反論されたものから先に掲載させていただきます。(註)二人から転載の許可を得ています。
__ ここからです。______

細井明美です。
三上さんの論評に違和感を感じましたので少々反論させていただきます。まず、政治家に「戦争観」などないと私は思います。 政治は現実をどう止揚するかであり、そして戦争は現実そのものだからです。 イラクでいえば、「撤退」は撤退する諸条件がそろったに過ぎない2003年5月、ポール・ブレマーは占領地イラクにつくとブレマー指令を出し、石油省をのぞく官庁関係者12万人を解雇し、50万人の軍関係者をも解雇。次に外国投資による公共サービスの民営化を行いました。これは生活すべの範囲におよびます。それによりイラク市民の生活は困窮化していくのです。
次にイラクの特許と版権と商標の法律が変えられました。これによりイラク原産の農業生産物の種の保存、交配が出来なくなり、農業多国籍企業が進出しました。さらに関税を廃止することにより安い外国製品がいっきょに入り、イラクで細々と営業をしてきた生産者は大打撃を受けます。とどめは、外国企業の内国民待遇措置、そして米国請け負い業者のイラクの法律からの免責措置です。ブレマーがワシントンに戻ると、悪名高いネグロポンテが来て、植民地政策を完成させます。彼はシーア派のバドル軍とクルドのペシュメルガを使い、暗殺・拷問特殊部隊を内務省につくり多くの知識人、イラク社会のリーダー、ジャーナリストなどを次々と拉致・暗殺をしていきます。
住民は宗派によりパレスチナのように壁でさえぎられ管理・統治されました。殺人、誘拐、強盗、脅迫、ありとあらゆる暴力に耐えかねた多くのイラク人が隣国へ難民として逃れました。そうしている間にも米軍基地はつくられ、いまやイラク全土に40以上の巨大基地があるといわれます。その広さはカリフォルニア州にも匹敵するほどです。イラクはリーダーとなるべき人材を失い、国全体がパレスチナと化しています。アメリカにとっては、あとは植民地を維持するだけですからそれほど多くの兵士を必要としません。殺し合いはイラク人同士にまかせて、次の戦争に邁進するだけです。アフガンですが、もともとカルザイの力は米軍のいるカブールだけにしかなく、地方はシャイフの権限が強く、腐敗したカルザイ政権に愛想をつかした民衆がタリバンを信頼しているという、アメリカにとっては
最悪の状況が展開されているのです。が、アメリカがアフガンに拘るのは、パイプラインを通したいパキスタンの要望もあるでしょうし、アフガンの地に眠る豊富な地下資源も魅力でしょう。さらにいうなら隣国に中国とロシアをひかえすでにアフガン国内に出来上がっている米軍基地を維持することが軍事戦略上必要なことなのでしょう。だからオバマはイラクから撤退し、アフガンに兵を増派するのです。もしオバマの中に「戦争観」なるものがあるとしたら、自分は選ばれしものとして戦争をするのだという使命感ではないでしょうか。
(註)原文より著者からの要請にて1行削除しました。 政治の交渉は、戦争観ではなく、国益は何かというリアルな選択だと思います。
Akemi Hosoi
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戦争について今一度考えて見よう
9月14日
三上 治
9月11日の同時多発テロと呼ばれる事件から8年が経つが、それを契機には じめられたイラクとアフガニスタンでの戦争は止む気配がない。アメリカのオ バマ大統領はイラクでの戦争は愚かな戦争として、撤退を準備しているが、ア フガンニスタンでの戦争は継続し、より本格化する決意でいる。オバマ大統領 には「愚かな戦争とそうではない戦争がある」という戦争観があるためだ。あ る新聞のコラムではオバマ大統領はアフガニスタンでの戦争を「賢い戦争」と 考えているのだろうかという疑問を呈していたが、彼には「愚かではな い戦争」というのもあるのだ。 多分、戦争は愚かなものであり、それ以外の戦争などありえないという考え (思想)は現在でもまだ、少数に属する、世界的に見れば孤立した思想である。 平和勢力と呼ばれてきた部分でも、社会主義の戦争は正しい、正義の戦争は存
在するという戦争観を背後に持つ部分は多くいたし、あらゆる戦争に反対であ り、すべての戦争は愚かであるという考えは左翼的な部分の中でも少数だった。 戦争には「正義の戦争」や「賢い戦争」もあるという考えは歴史の中で培われ た長い伝統的なものなのだ。これは頑迷な迷信や信仰に似ている。 1990の湾岸戦争以来、国際貢献のための戦争という考えが浸透してきたが、 これも「賢い戦争」の流れにある考えだ。小泉元首相や安倍元首相らはアメリ カと価値観の共有を言ったが、それはこの戦争観の共有であった。それに基づき集団自衛権の行使である自衛隊の海外派兵をやった。オバマ政権は民主党に その継続を求めてくる。アメリカに2005年に行き、学生たちと討論したとき、
「戦争には正義の戦争と不正義の戦争があるのではない、あらゆる戦争が不正 義である」という考えを述べた。学生たちは初めて聞く見解であると驚いてい た。彼らには「正しい戦争と正しくない戦争」という枠組みが強固に存在する ような印象であった。そして、ここは国民的な戦争観の差異なのか、と思った。日本国民は戦後にはあらゆる戦争は愚かであり、愚かでない戦争などないという戦争観を持ったと推察される。これは国民の意識に割りと深く入った考えで生き延びてきたように思う。オバマ政権が価値観の共有の継続を求めるとき、戦争観の差異を基盤にして、価値観の共有なるものを問い直せばいい。戦争観は 歴史観や世界観に及ぶだろうが、そういう交渉を日本国民は望んでいる。
______ここまでで転載終了です。_____
長船青治@<パレスチナに献花を>