それを避けるためにぼくは1970年代はハレ氏といっしょに「木の葉経」という文芸同人誌を出したり「青洞記」という個人紙を出していた暗い10年間があったのだと言う。
さて、日比谷派遣村はついに幕を閉じたというので何か変だと思っていたらボランテイアに参加した済世救民思想のAの野田と「もやい」の湯浅のあいだに流れたメールを発見して、何かある側面を見せつけられたのだが。それは河上という皆さんは知っているだろうけれど今や伝説のネットワーカーとあるオフ会でぼくは彼が京大で専攻した言語学なるもののある種異様な才能に少し驚いたのだけれど、特に誘惑や羨望といったものは何も感じなかったが、ただ彼の隣りにいた「A2」の主人公だけがその後ずっと気がかりに思うことがあって、どうしているのだろうと思うことがあった。ここで「気がかりに、」という意味は、彼が「こんな風に自分のことを話すのは初めてだ、」と言ったことから来るのだろう。さあもういいかも知れない。いかに生きるべきかとか、なにを成すべきかと考えるよりも先に現実はわれわれをすでに何処とも知れぬ暗黒の彼方に連れ去っている途中なのだから。